高知城
別名 大高坂城 | 付近住所 高知県高知市丸ノ内 | 現在 高知公園 |
2007/11/15 | 碑・案内板アリ | 日本城郭大系 |
山内一豊→ 山内忠義→ 山内忠豊→ 山内豊昌→ 山内豊房→ 山内豊隆→ 山内豊常→ 山内豊敷→ 山内豊雍→ 山内豊策→ 山内豊興→ 山内豊資→ 山内豊熈→ 山内豊惇→ 山内豊信→ 山内豊範 |
高知市の中心にそびえる大高坂山(標高44.4m)にあって、天守閣からは市街地のほぼ全容が眺められます。現在は県立高知公園となっています。 高知城は、関ヶ原の戦の功で遠州掛川6万石から土佐24万石に封じられた山内一豊が、慶長6年(1601)から築いた城です。人夫は毎日1200人から1300人を動員し、資材は近隣から集め、瓦は大阪から取り寄せ、一豊は一日おきに浦戸から工事の督励のために現場におもむきました。慶長8年(1603)には本丸と詰門・太鼓櫓が完成し、一豊は同年8月に入城しました。 享保12年(1727)には大火にあい、追手門ほか数棟を残して焼失しましたが、2年後に再建に着手し、24年かけて復旧しました。これが現在の高知城です。天守閣と追手門がそろって残っていることや、全国で唯一本丸内の建造物がほぼ完全な形で残っていることなどから、城郭史上極めて貴重な遺構です。これらを含めて15の建造物が国の重要文化財の指定を受けている他、敷地は高知城跡として国の史跡に指定されています。 追手門から東にのびる追手筋には毎週日曜日に日曜市が開催されます。この街路市は元禄3年(1690)から続く長い歴史を持っています。市の開設場所は何度か変遷があり、追手筋で開かれるようになったのは昭和23年のことです。ここでは農産物を中心に海産物や日用品など600軒余のお店が1km以上にわたって並んでいます。 |